デビューライブ当日、イアン・カーチスとスティッフ・キィトゥンズのメンバー達は、リチャード・ブーンに対してかねてからの考えを宣言する。
 「スティッフ・キィトゥンズはもうやめた。今日まさに、この瞬間から、僕たちはワルシャワ(WARSAW)だ!」
 この名前は、当時デビット・ボウイーの最新アルバム『ロウ』の中の1曲「WARSZAWA」から取ってあり、その英文読みである(ボウイーのそれはポーランド綴り)。
 イアン・カーチスは、言葉のイメージや服装などから発生するイメージを、時として非常に重要に考えていたらしい。当時流行っていたロゴのプリントアウトが大きく入ったTシャツなどが与えるイメージなども、非常に毛嫌いしていたらしく、イアンが加入以前に決められていた「スティッフ・キィトゥンズ」というパンキッシュな名前のイメージが、彼の感覚的なデリカシーを大いに阻害していたと想像できる。後に彼らのインタビューで「僕らは、“ザ・何々ズ”という風には呼ばれたくなかった。」と述べている。
 デビューライブの2日後にはラフターズという他のライブハウスで、6月にもマンチェスターとニューキャッスルで、7月にマンチェスターとリバプールなど、以降9月、10月、12月と彼らは精力的にライブをこなしていく。しかし、ドラムのトニーは僅か6回のライブでグループを離れ、後任には募集広告を見てやってきた、スティーブ・ブラザーデールが加入する。
 彼らは昼間働いた金をバンドでプールして、77年7月18日にペニーサウンドスタジオにて初の4曲入りデモテープ制作を行った。メンバー各自が1本づつ渡されたが、後に「Ideal for Beggining」と題された海賊版が3種類出回った。
 結局このデモ・テープ制作を最後に、ドラムのスティーブは兼任していたバンド「ザ・パニック」とでバンドの将来性を天秤に掛けて、彼はワルシャワを去っていく。そして1ヶ月後にイアンと同郷のStephen Morris (ステファン・モリス)が、やはり募集広告をみてやってくる。ようやくメンバーは固定されることとなる。

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