77年の12月に、いよいよ彼らはデビューシングルの制作に入る。しかし、デモテープの段階でクオリティーや音質に納得できず、すべて棚上げにした。
 当時の彼らは、まだ暗中模索の段階であり、平均的なパンクバンド風な印象以外を嗅ぎ取ることは難しいが、やはり他のパンクバンドとの大きな違いは、他のパンク・バンド達が、ストレートで自分たちのフラストレーションや怒りを叩きつけるようなリフで、社会や大人達を煽りまくる行為とは違い、すでに内省的な詩を書いていて、音楽もダークな音色であった。しかし、この時録音した4曲は後に正式に発表される「An Ideal For Living」という4曲入のシングルの元となる音源であり、徐々に変化しているのが理解できる。
 3曲目の「Leaders of Men」では、以下のような詩をのこしている。

まるでどこか普通の部屋のような
母親の子宮から生まれ、
新しい人生を誓った。
君の人生から犠牲者を出して、
チャンスが君の部屋の
ドアのあたりまでやって来て、
君はフロアへ踏み出す。
君は手が届くと感じた。

イアン・カーチスは、彼自身が傾倒していた神秘主義やネオ・ロマンチズム、ロシア構成主義などから発するイメージなどを、グループの音楽性に反映しようとはしていたようだが、それを表現する技術や方法を固定するまでに至っていなかったようだ。
 レコーディングやライブを進めていく内に、彼らはロンドン進出への意向を固めて幾つかのエージェンシーと交渉を進めていくのだが、一つの問題が浮上する。ロンドンにはワルシャワ・パクトというヘビメタバンドが存在していて、このままの名前ではファンを混乱させてしまう可能性があると指摘されるのである。
 ようやく浸透してきた名前であったが、変更を余儀なくされたイアンカーチス達は、第二次世界大戦当時のナチ収容所内での将校用の慰安施設の名称からとったという
Joy Division(ジョイ・デイビジョン)と変更した。

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