イギリス、ランカシャー州の商業都市マンチェスター。セックスピストルズはここでも沢山のフォロワーを生みだし、その中で、当地出身のハワードディボートとピートシェリーが結成し、メジャーデビューしていたバズコックスなどは、ローカルヒーローとして喝采をあびていた。同じ学校の卒業生だったBernard Dicken(バー
ナード・ディッケン)、Peter Hook
(ピーター・フック)そして、Terry
Mason(テリーメイソン)の3人も、他の若者と同じように自然に楽器を手に取りバンドをスタートさせていた。バンド名は
STIFF KITTENS(スティッフ・キィトゥンズ)と決めた。
当時全員20歳だった彼らは、楽器も弾いたこともなく、イギリスの他の同じ階級の若者たちがそうであったように、数年間面白くも希望も無い職業に就いていたが、パンク登場以前は特殊な高等技術が絶対的に必要であるミュージシャンを自分らが目指そうなどとは夢にも思っていない若者であった。
同年の暮れに、マンチェスター近郊のマクレスフィールドから出てきていた、イギー・ポップとベルベット・アンダーグラウンドが好きな、同じ20歳のイアン・カーチスとクラブで知り合い、このバンドに加入することとなる。とりあえずは彼ら全員が、まずギターを練習し始め、イアン・カーチスは昼間、紡績工場でトラックを転がしながら、バーナードは事務職をしながら、仕事が終わるとブラック・スワンという地元の古いパブの2階を借りて練習を続け、77年初頭にはようやくイアンがボーカルとサイドギター。バーナードがリードギター。ピーター・フックがベース。そしてテリーがドラムスとパートを固定させていく。ただ、ドラミングの上達につまずいていたテリーだけは、自らマネージメントに回り、新たなドラムを募集することとなる。約5ヶ月間の練習を重ねて、彼らはバズコックスのマネージャーだったリチャード・ブーンの口添えで地元マンチェスターのパンクの殿堂・エレクトリック・サーカスというライブハウスで、ドラム未定にもかかわらず、5月29日にデビューギグを行う運びとなる。ライブの2日前にドラムのTony Tabac(トニー・タバック)の加入があわただしく決定し、ライブ当日を迎えた。
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