Band

 ブライアン・イーノの作品の一節からACERTAINRATIO(ある一定の比率を意味する)をグループ名にしたこのグループは、1977年に、サイモン・トッピング(SIMON TOPPING / Vocal)、ピーター・ティレル(PETER TERELL / Guitar, Noisebox)、ジェレミー・カー(JEREMY KERR / Bass,Vocal)、そしてマーティン・モスクロップ(MARTIN MOSCROP / Guitar,Trumpet)の4人で結成されました。メンバー全員、当時16歳〜18歳という非常に若いメンバーで、彼らはドラマー無しの編成のまま、果敢にマンチェスターを中心とするライヴハウスに乗り出していきました。
 活動を続ける中、ザ・ポップ・グループのマーク・スチュワートは彼らを気に入りトニー・ウィルソンへ紹介し、ファクトリーとの契約を結ぶこととなります。そして、この1979年5月にマーティン・ゼロ(ハネット)プロデュースによる、『THIN BOYS』と『ALLNIGHT PARTY』を両A面とする5000枚限定のこの7"シングルにてデビューを果しました。この時期、トーキング・ヘッズのサポートなどを努めたことからヴァージン・レコードからメジャーへの誘いを受けますが、彼らは拒否します。更に、ドナルド・ジョンスン(DONALD JOHNSON)という黒人ドラマーが新たに加入して5人組となったACRは、パンク・サウンドから影響を受けたソリッドなギター・サウンドと土着的な強烈なファンク・ドラムを取り入れた個性的な音づくりが注目を集めることとなり、次いでベルギーから第2弾シングル『SHACK-UP』『AND THEN AGAIN』のカップリング7"を発売。更にマーティン・ハネットをプロデューサーに迎え、『DO THE DU』『FLIGHT』を含むスタジオ・レコーディングと、デビュー曲『ALL NIGHT PARTY』や『THE FOX』『FLIGHT』などのライヴを両面に配した幻のデビューアルバムともいえるカセット、『THE GRAVEYARD AND THE BALLROOM』を発表します。この時期、1980年の初のアメリカ・ツアーと、ニュー・ジャージーに於ける初の12"盤『フライト』のレコーディングなどを行います。ファンク・ドラマーのジョンスンの加入によって、パンクとファンクとの融合、ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスの歌声を思わせるトッピングの両存在が、この時期のACRの最大の魅力でした。そのトッピングは以後、ティンバレスを中心とするラテン・パーカッションに傾倒し、やがてヴォーカルはマーサ・ティルソン(TILLY)という名のアメリカ人女性の担当するところとなります。そして『TO EACH...』というデビュー・アルバムが発表されたのは、ちょうどティり一がゲスト参加した1981年のことで、彼女のヴォーカルと共にドラムペットが大胆にフィーチャーされ、かなりのサウンドの変化を見せていきました。
 1982年にはいると、そのティリ一がグループを去り、代ってベースのジョンスンがヴォーカルを兼任する一方で、アンディ・コーネル(ANDY CONNELL)が新たにキーボード・プレイヤーとして参加、オリジナル・メンバーのティレルがグループを脱け、インドヘ旅立つという激しいメンバーチェンジが行われました。6人編成となったACRは『WATER LINE』『KNIFES LITS WATER』の2枚の12"と、セカンド・アルバム『SEXTET』を発表します。ところが翌1983年ファクトリーが、ACRのマネージメントから手を引いたのと前後して、中心人物たるトッピングまでがティンバレスの修業の為にグループを脱け、ニュー・ヨークヘと旅立ってしまい、ヴォーカリストとしてキャロル・マッケンジー(CAROL MC'KENZIE)が新加入し、サードアルバム『I'D LIKE TO SEE YOU AGAIN』と12"『I NEED SOMEONE TONIGHT/DON'T YOU WORRY BOUT A THING』が発表されました。(しかしサード・アルバムにはトッピングの名前もクレジットされており、この情報は間違いかもしれません。)1984年、マッケンジーがグループを去り、再びデビュー時と同じ4人組となったACRは、レコーディング・セッションでベースを担当したジェズ(JEZ)にヴォーカルをもまかせて、2枚の12"シングルをファクトリーから発表。『LIFE'S A SCREAM』『THERE'S ONLY THIS』のカップリングと、もう1枚は『BRAZILIA』でした。1985年を迎えて、サックス・プレイヤーのアントニー・キュイグリ一(ANTONY QUIGLEY)が新メンバーとして加入。そして発表されたのが『WILD PARTY / SOUNDS LIKE SOMETHING DIRTY』のカップリング。シンセサイザーを活用したドラムやべ一スにヴォコーダーなど、ヒップ・ホップ感覚をも盛り込んだACRのニュー・サウンドは、映画「LETTER TO BREZHNEV」のサウンドトラックにも起用されました。
 ファクトリー以後はA&Mへ移籍。スワンプ・チルドレンのメンバーとカリマを結成したり、ANDY CONNELL はスイング・アウト・シスターへ加入します。

このバイオグラフィーの情報は『セクステット』国内盤インナー及び『ザ・オールド・アンド・ザ・ニュー』国内盤のインナーの解説を参考にして解説しております。